歴史情報を書くにあたって



今回「ピンボールの歴史」を企画するにあたって、既存の書籍とは違った視点で分かり易く解説したいと思った。そこで考えたのが、メーカー別の歴史である。
しかし、例えばALLIED LEISURE INDUSTRIESによる「Dyn-O-Mite」(1975年)や、MIRCO GAMESの「Spirit Of '76」(1975年)などの、どちらかと言えばマイナーメーカーによる重要な発明が漏れてしまう、という問題点がある。そこで、各メーカーの系譜や流れを考えて、以下のような項目で企画を予定している。



これを書くにあたって、日本におけるピンボール市場(市況)の歴史的な経緯と、私自身のマシンの印象が、内容に影響を与えていることは否めない。
例えば、1980年代前半のWILLIAMSのマシンの出来はBALLYやGOTTLIEBに比べるとひどかった。これは、私の主観というだけではなく、当時プレーしていた多くの人達が納得している意見であると思う。従って、ライバル各社がなくなってしまった今でも、私にはWILLIAMSが絶対的に優れたメーカーであるとは思えないのである。
また、世界のピンボール市場に置ける日本の割合は極めて低い、という事実がある。
ここ10年で最もマシンが輸入されたと思われる1991年から1993年頃でも、アメリカでの総生産台数と日本への輸入台数を調べてみると、5%を上回ったマシン1機種もない。マーケットとしては、まったく弱小なのである。

私自身のピンボールのキャリアは、ほぼ1960年代以降のマシンからである。もちろんそれ以前のマシンをプレーしたこともあるが、今回この記事を書くにあたって、いろいろな書籍や雑誌の文献を参照した。とくに印象深いのは、1970年後半の雑誌の記事である。すでに、ビデオ・ゲームの出現によりアーケードの主役ではなくなっていたが、ソリッド・ステイト化や様々なヒットマシンの出現によって、新たな方向性と可能性を見いだしている明るいニュースが多く見られる。この時代のマシンと重ね合わせて、本当に懐かしく思った。

さて本文を書くにあたっては、なるべく複数の資料を検証しているが、誤った記述や疑問点については、その情報ソースを明示した上で指摘をしていただきたいと思う。調査した上で、随時訂正、変更していきたい。



出井和幸