CHICAGO COIN,STERN,DATA EAST,SEGAピンボールの歴史


CHICAGO COINの創立者Sam Gensburg氏は、同じピンボールメーカーだったGENCOを設立したGensburg兄弟の4番目の弟である。彼はGENCOには参加せず独自にCHICAGO COINを設立した。そして、様々なアミューズメントマシンを作り出していった。

どちらかといえばCHICAGO COINの名前は、ガン・ゲームやベースボール・ゲームで広く知られているが、45年の歴史のなかで220機種以上のピンボールを生み出している。そのうちフリッパーが付いた、いわゆるフリッパー・ピンボールは66機種を数える。

日本でも、「Hula-Hula」(1965年),「Gun Smoke」(1968年),「Casino」(1972年),「Hee Haw」(1973年)などは、なかなか人気があったマシンである。


Sam Stern氏は1959年にWILLIAMSのオーナーとなり、後にこれを売却した。そして彼は、1977年にCHICAGO COINを買収し社名をSTERNとして、ピンボールの生産を続けた。STERNはこうしてスタートした。

なかでも「Galaxy」「Flight 2000」といったHarry Williams氏デザインのマシンが成功を収めた1980年は、STERNが最も成功した年だった。(WILLIAMSピンボールの歴史参照)

STERNのピンボールは、パーツなどはBALLYと同じものを使っていたが、フィールド構成やフィーチャーに独特の味わいがあった。

「Dracula」(1979年),「Magic」(1979年),「Ali」(1980年),「Seawitch」(1980年)「Star Gazer」(1980年),「Freefall」(1981年),「Viper」(1981年)などのユニークなマシンを生み出していった。

しかし、凋落は早かった。1981年になると世界的なピンボールの低落傾向が明確になり、1982年にはSTERNは2機種しかピンボールを発売することができなかった。そして、1984年の「Lazerlord」を最後に倒産した。


1987年に日本のDATA EASTは、アメリカでのピンボール事業をスタートさせた。こうして生まれたのが、DATA EAST PINBALLである。

発足にあたって、Sam Stern氏の息子のGary Stern氏がジェネラルマネージャーとなった。しかし、その後のDATA EASTのマシンは、STERNの伝統を受け継いだというよりは、ゲーム内容ではWILLIAMSの影響を強く受けていた。これは、フリッパーの形状やゲームルールなどからも伺うことができる。一方、バンパーやドロップターゲットなどのパーツに関してはBALLY,STERNのものを継承している部分もあった。だが、WILLIAMSに対抗すべく、DATA EASTは、独自の技術やシステムを積極的に取り入れていった。

第一作の「Laser War」は、ピンボールとして初のデジタル・ステレオ・サウンドを採用しており、後にWILLIAMSもこれに追随することになる。

1989年には世界初のソリッド・ステート・フリッパーを備えた「Robocop」を発表した。これは、フリッパー・コイルに流れる電流を今までのEOSスイッチにより制御する方式から、基盤により制御するシステムに変更したものである。なお「Robocop」の2作前のマシンである「Playboy」(1989年)において、一部のマシンにはソリッド・ステート・フリッパーが採用されていた。

1991年には、初のドットマトリックス・ディスプレイを備えた「Checkpoint」を発表した。これはその後の各メーカーの主流となり、WILLIAMSは「Terminator 2」,BALLYは「Gilligan's Island」,GOTTLIEBは「Super Mario Bros.」でドットマトリックス・ディスプレイを採用することになる。

その後DATA EASTのシェアは、GOTTLIEBを抜いて業界第2位になった。つまりWILLIAMS/BALLYに次ぐメーカーになったのである。特に版権物マシンの積極的な導入により、大きく業績を伸ばした。「Batman」(1991年),「Lethal Weapon 3」(1992年),「Star Wars」(1992年),「Jurassic Park」(1993年),「Guns N' Roses」(1994年)などのビッグタイトルを連発した。


1994年にDATA EAST PINBALLはSEGAのアメリカ法人に売却され、SEGA PINBALLが誕生した。DATA EASTブランドは幕を閉じ、SEGAブランドのマシンが同じスタッフから発表されることとなった。そして、第一作「Frankenstein」を発表した。

しかし、世界的なピンボール市場の低迷を受けてGOTTLIEBブランドのマシンを生産していたPREMIERも1996年7月に倒産し、1997年末にはWMSからWILLIAMSとBALLYの2つのブランドとSEGAの2社のみが残るだけになってしまった。生産台数も、全盛期の1/5以下に落ち込んでいる。

日本においては、DATA EASTがDATA EAST PINBALLに引き続きSEGA PINBALLを国内販売していた。しかし、1996年にSEGA PINBALLの販売を休止し、SEGA PINBALLは日本国内には出まわらなくなってしまった。


1999年10月にGary Stern氏がSEGA PINBALLを買収し、社名をSTERN PINBALLとした。STERNの復活である。10月末にはWILLIAMS/BALLYがピンボールの生産からの撤退を発表し、STERN PINBALLはピンボールの生産を続ける唯一のメーカーになってしまった。



年度内容
1932年CHICAGO COINがSam Gensburg氏によってシカゴに設立される。
1947年CHICAGO COIN初のフリッパー・ピンボール「Bermuda」を発表する。
1977年Sam Stern氏によりCHICAGO COINが買収され、STERNと社名を変更する。
STERNとしての初のマシン「Stampede」を発表する。
STERN最初のソリッド・ステート・ピンボール「Pinball」を発表する。
1984年Sam Stern氏が死去し、STERNも「Lazerlord」を最後に倒産する。
1987年DATA EAST PINBALLが設立され「Laser War」を発表する。初めてデジタル・ステレオ・サウンドを採用する。Sam Stern氏の息子のGary Stern氏が総支配人となる。
1989年ソリッド・ステート・フリッパーを備えた世界初のマシン「Robocop」を発表する。
1991年世界初のドットマトリックス・ディスプレイを備えた「Checkpoint」を発表する。
1994年SEGA PINBALL第一作「Frankenstein」を発表する。
1999年Gary Stern氏がSEGA PINBALLを買収し、社名がSTERN PINBALLとなる。


参考文献

文責:出井和幸


1998-1999 (C) Tokyo Pinball Organization